アングスト 激ヤバ殺人鬼、下から見るか?横から見るか? 【ネタバレなし感想】
アングスト
1983年オーストリア製作
監督/ジェラルド・カーグル
脚本/ジェラルド・カーグル
ズビグニュー・リプチンスキー
製作/ジェラルド・カーグル
ジョセフ・レイティンガー=ラスカ
出演者/アーウィン・レダー
音楽/クラウス・シュルツェ
撮影/ズビグニュー・リプチンスキー
編集/ズビグニュー・リプチンスキ
【あらすじ】
刑務所を出所した狂人が途端に見境のない行動に出る
【個人的評価】保留
【感想】
異常すぎて本国オーストリアでは1週間で上映打切り!その他世界各国で上映禁止!配給会社逃亡!
そんなワクワクしかない惹句により話題沸騰となった1983年公開のサイコロジカルスリラー映画『アングスト』
こりゃあ観る他ねえぜ!と思いわざわざ新宿まで嫌な気持ちになるために観に行ったら確かに凄かったので、思ったところを衝動的に殴り書きした文をここに置いときます。
シネマート新宿にて、場内は血に飢えた老若男女がわんさかといて結構埋まってました
映画と関係ないけどこの『アップルパイソーダ』、ソーダなのにマジでアップルパイの味がして凄かったです
・やはりなんといってもこの異常さと、そして不安さ
この映画は始まった瞬間すぐその異様さが察知出来ます
クレジットもオープニングもなく始まり、ステディカメラによって撮影され小刻みに揺れる背景と共に、ただ者で無い出で立ちの男が歩く様子が流れる・・・
ここだけでこの映画の雰囲気や、主人公の男の中にある狂気が分かるんですね
もうこの時点でヤバいんです
その後もずっとこのような不安になるような映像がずっと続くのですが、そんな映像だけで終わりまで一気にのめり込んでしまうんですよ
特に印象に残るのがなんとなく入った店でソーセージを食べながら女子たちを「品定め」するシーンです
病的なモノローグも相まってただ食ってるだけなのにめちゃ気持ち悪い!ここの演出は本当に素晴らしかったですね〜(そんでなかなか美味そうなんだこれが)
この病的なモノローグというのもこの映画の特徴で、理不尽な暴力がを描く中セリフがほとんどない代わりに主人公が考えている思想などが延々と垂れ流されるんですね。
これがまた狂ってて気持ち悪い上にまた別の効果を生んでていいんですよ(くわしくは後述)
・雑!雑!雑!
この映画ではまず、主人公の凶行でその異常さを見せ、その後普通ではない生い立ちが説明されます
そして出所後に主人公はモノローグでこう言うわけです「俺には完璧な計画がある・・・」と
(そんな・・・完璧な計画だなんて、こりゃぁどうなっちまうんだ〜!)と思いながら観てると、タクシー乗ったあたりで見せる後先考えない行動の数々に(あれ・・・?こいつ・・・やり方がクソ雑だぞ!)ってなるんですね
この雑さは終わりまでずっとそうで、この主人公は全てが行き当たりばったりの衝動に任せて行動するんですよね。
全編において衝動にまかせた力技で突き進むのです
そんな衝動は音楽でも表現されているように感じます。
…さて、ここまで良いところを並べてきましたが不満もあって・・・・
最初に生い立ちを解説した後モノローグでまた説明という作劇のちぐはぐさはまあ良いとして、なんというか予告とかは少し煽りすぎじゃないかなーと
とても精神的にキツい映画のように思えますが、僕はあまりそうは思わなかったんですよね
実際観終わったあとこんな半端なとこで終わりとか少し物足りないとすら思ったんです
でも、冷静に考えると、これで物足りないと感じてることそのものがある種異常な感覚で・・・(なぜ物足りないのかなぜ異常なのかという詳細はネタバレなので省きますが)
そう考えると自分が観てる最中すっかり主人公側に感情移入してしまっていた事が分かったんですね
・どの視点で観る?
要するにこれ、「第三者視点で眺める」か「主人公視点で没入する」かという話で、普通こういう理不尽な暴力が描かれる映画では基本的に前者の視点で見るようになってるのに、この映画だとバリバリ没入してしまったんですよね・・・
これは僕が殊更よくない精神状態であるからではなく(多分)
・まるで主人公の視点を表すかのようなステディカムなどの撮影
・主人公の思考を理解させるモノローグ
・リアルな時間経過を体験させる演出
・主人公の衝動を表したような音楽
などので実際に我々に没入を促して来てるんですよ。
死体の運搬もノーカット!
たとえばタクシーの運転手をいきなり襲おうとするシーンがあるのですが、全く脈略がなく一般人には理解しがたいところを「タクシーを奪い、車という空間を得られれば円滑に殺人が行える」とモノローグで説明されると納得(?)できるわけです。
ただ狂気を映すのではなく、一見意味不明なように見える行動も丁寧に説明をし、我々に狂気を理解させる方向に演出する・・・
それによって異常者に没入させた結果、殺人鬼の異常な快楽というものを擬似的に体験させてきます。
そのように同化を促す演出がなされた結果、だんだんと主人公が感じる焦燥、もはや義務感とも呼べるような殺人への衝動が観てる方にも感じられるようになってくるんです。
この衝動が観てる自分にも移ってくる・・・
だから、観てるうちに「はやく、はやく殺れ!」という気分になるし、終盤の方は観ててずっと「まだ終わるなよ・・・・終わるなよ・・・」って思ってたし、終わった瞬間なんか「もう終わり!短すぎる!」とすら思ってしまったんですよ。
だからなんというか『へレディタリー』みたいに観てて精神的にキツくなる映画というよりは、観終わった後に自らを省みることで異常性が感じられる映画のように思えました。
そういう意味では確かに危険性が高いし上映禁止も納得です
とは言え、第三者視点から観るように出来る余地もクレーン撮影による超絶俯瞰映像などから残してあるようにも見えます。
なんというか、所々たまたま家にいた犬目線とも捉えられる映像になるんです。
前述した演出もドキュメンタリータッチだと言われればそう見えないこともないんですよね。まるで離れた視点から観察するかのようにも捉えられるんです。
つまり、この映画は「異常な男になりきる見方」と「眺める見方」の両方が出来るようになってると思うんですよ。
そのどちらかになるかは、普段の生活や映画の見方に左右されるのではないか・・・と思いました
おそらく前者の視点で見れば少し物足りなく感じるし、後者の視点で見たらものすごく厭ーな映像体験になるのではないかと思います。(どっちでも楽しいけどね)
どの視点で観るか?それがこの映画において一番趣向を凝らした部分なのではないかと思いました。
あ、最後に一つ
犬はかわいいし無事です!(犬以外は全く無事じゃないけど)
というわけで、ちょっと宣伝は煽りすぎかなと思ったので過度な期待は禁物ですが、しっかりと精神状態が悪くなるステキな映画体験でしたよ!
それ故に、点数はちょっとつけづらいのでまた落ち着いた時に考えようかなと思います。